2021年3月29日月曜日

【コラム】かつての世界最大の都市コンスタンティノープルその繁栄と滅亡

イスタンブールと言った方がもはや通じるのかもしれません。
ローマ帝国、ビザンツ帝国の首都コンスタンティノープル

かつては世界の富の3分の2が集まるとさえ言われたそうです。

この街の始まりは西暦330年、
キリスト教を公認化したことで有名なローマ帝国のコンスタンティヌス帝が、
ビザンティオンと呼ばれた地方都市をキリスト教の街として改造したところからです。

コンスタンティヌス1世のフォルムの円柱

はじめはローマ帝国内の地方都市でしたが、
380年には、皇帝が常駐する首都になります。


イスタンブールにある地下宮殿(巨大な貯水槽)には、
コンスタンティノープル建設時に使われた古代神話の石像が見られます。

395年にはローマ帝国が東西に分裂、
コンスタンティノープルはそのまま東ローマ帝国の首都となります。

ちなみに西ローマ帝国はメディオラーヌム(現ミラノ)が首都、
後にラウェンナ(現ラヴェンナ)が首都になります。

初めからキリスト教の街として作られたコンスタンティノープルですが、
西ローマ帝国の滅亡とは裏腹に、繁栄します。

ウァレンス水道橋(古代ローマ時代の水道橋)

最盛期の皇帝ユスティニアヌス1世の時代、
ニカの乱と呼ばれる反乱の後に聖ソフィア大聖堂が現在の形に再建されます。

ユスティニアヌス1世
(イスタンブール考古学博物館)

現在でもイスタンブールのランドマークであるアヤソフィア(聖ソフィア大聖堂跡)

ユスティニアヌス1世は、
あまりの完成度の高さにより「ソロモンよ、我は汝に勝てり」と叫んだとか。
しかし、後にイスラム教のモスクに改修されてしまいます。

キリストにこの街(コンスタンティノープル)をささげるコンスタンティヌス1世と
この聖堂をささげるユスティニアヌス1世

皇帝と市民が集う場でもあった競馬場の跡

5世紀に皇帝テオドシウス2世によって建設されたテオドシウスの三重壁

ビザンチン文化の最高傑作と言われたコーラ修道院跡

7世紀には、イスラム帝国のウマイヤ朝に包囲されたり、
11世紀にはセルジューク・トルコによって脅かされたりはしますが、
1204年、第4回十字軍によりついに陥落し、ビザンツ帝国は一時滅亡。
十字軍国家のラテン帝国がコンスタンティノープルを占領。
一部ビザンツ皇族・貴族によりニカイア帝国として亡命政権が存続。

ドラクロア作、コンスタンティノポリスの陥落
(フランス、パリのルーブル美術館所蔵)

1261年にラテン帝国の隙を突いてコンスタンティノポリスを奪回、
ビザンツ帝国は復活します。

しかし国力は以前程回復はせず、1453年、ついにオスマン帝国により滅亡を迎えます。
1453年4月、オスマン皇帝メフメト2世が10万もの軍勢で
コンスタンティノープルを包囲します。
その前年には拠点となる砦のルメリ・ヒサルを建造。
包囲網は日に日に狭くなり、コンスタンティノープルが最後の戦いとなります。

ボスポラス海峡に面したルメリ・ヒサル

オスマン帝国軍10万VSビザンツ帝国軍8千
この劣勢の中でも持ちこたえるが、5月29日についに陥落。

イスタンブール軍事博物館展示物

コンスタンティノス・ポルフュロゲネトスの宮殿(テクフール・サライ宮殿)
最後の皇帝、コンスタンティノス11世の王宮

エディルネ門
コンスタンティノープル陥落後にメフメト2世が入城したとのこと。

イスタンブールのファーティフ・ジャーミィにあるメフメト2世の棺

オスマン帝国時代に建てられたトプカプ宮殿

以来、オスマン帝国、イスラム教国の支配下となり、
トルコ共和国が誕生してからはイスタンブールと呼ばれて今に至っています。

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