2020年6月23日火曜日

【コラム】争いの絶えない神の都エルサレム、三宗教の聖地

2019年の年末から2020年の年始にかけて、エルサレムに行ってきました。

エルサレムとは、ユダヤ教、キリスト教で有名なイスラエルの都市です。

聖地エルサレム
https://siontraveljournal.blogspot.com/2019/12/blog-post_29.html
左上の青いドームがキリスト教聖地の聖墳墓教会、
右中央の黄金のドームがイスラム教聖地の岩のドーム、
岩のドームが建つ地はユダヤ教聖地のエルサレム神殿跡

神話の様な話ですが、旧約聖書より、まず始まりはアブラハムという
メソポタミア(場所は現在のイラク)出身の男性が、
神に命じられてモリヤの丘という場所で
息子であるイサクを(生贄として)捧げようとし、
直前に神により中止させられ、
「お前とお前の子孫に永久にこの土地を与える」と約束されたところからです。

そのイサクの子孫が、ヘブライ人(ユダヤ人)で、
そのモリヤの丘の場所が、エルサレムであり、
神殿の丘と呼ばれる、現在はイスラム教徒が管理している、岩のドーム付近
と言われています。

実はイサクには母違いの兄がいて(つまり兄もアブラハムの息子)、
その子孫がアラブ人と言われています。
実は中東問題はここから始まった!?
※史実的なことをいうのであれば、古くからこの地方には様々な民族がいたであろうが、
上記についての考古学的な証拠は乏しいとか。

岩のドーム
エルサレムのランドマークみたいな建物ですよね。

さて、そのヘブライ人、エジプトに移動したり戻ってきたりします。
奴隷と化していたヘブライ人を連れ戻したのは神の啓示を受けた預言者モーセで、
海を割って追手から逃がした話が有名ですよね。
そのモーセ、エジプトのシナイ半島にあるシナイ山で十戒の石板を授けられます。
ヘブライの民が守るべき掟(おきて)です。

シナイ半島(左)とアカバ湾
エジプト行きの飛行機から撮影

そして何十年もかけて約束の地、イスラエルのエルサレムに戻って来ます。
しかし、モーセは神を疑った為に、エルサレムに足を踏み入れる前にネボ山(パレスチナ自治区の東側にある現在のヨルダン領内にある山)で約束の地を眺めてから息を引き取ります。結局エルサレムには入れませんでした。
※史実的なことを言うなら、エジプトからの集団脱走の証拠となる考古学的資料やエジプト側の記録は見つかっていないとか。

死海からネボ山を眺める

紆余曲折の後、紀元前11世紀にイスラエル王国(首都エルサレム)が建国されます。
ダビデという有名な王様の息子のソロモンがモーセが受けた十戒の石板とモーセの杖等をおさめる神殿を建てるのですが、その建てた場所が、アブラハムが息子イサクを神に捧げようとした場所、モリヤの丘です。
(※そもそもそれがエルサレムなのかどうかで諸説あります)

ダビデの棺

遠方より見た神殿の丘とエルサレム旧市街

現在の岩のドームがある付近ですが、
神殿の場所は岩のドームより少し北側にあったという説があります。

岩のドームのすぐ近くにあるエルサレム神殿跡と推定される場所

ソロモン王の死後、イスラエル王国は南北に分裂、
アッシリアという強大な国に北王国(首都サマリア)は滅ぼされ(※)、
その後、南王国(首都エルサレム)はバビロニアというまた強大な国に滅ぼされ、
連行されてしまいます(これをバビロン捕囚と呼びます)。
十戒の石板やらモーセの杖やらを入れた聖櫃(アーク)はこの時点で紛失したのでしょうか?
※このアッシリアに滅ぼされた北王国の人々を「失われた十支族」と呼びますが、状況的には多くはそのまま移住し続け、後にユダヤ人に統合、もしくはサマリア人になったのではないでしょうか。

ようやく解放されて戻ってきたヘブライ人は、国を再建、エルサレム神殿も造り直されます。
聖櫃(アーク)をどうしたのかは不明ですが。

そしてヘロデ大王という王様が大規模に拡張工事を行いますが、
後にローマ帝国に逆らったユダヤ人が戦争を起こし、
西暦70年にエルサレム神殿は破壊され、
二度と再建されることはありませんでした。
生き残ったユダヤ人はエルサレムへの立ち入りを禁止され、
多くは世界中に離散することになります。

ヘロデ大王時代のエルサレム神殿と市街地の模型
イスラエル博物館(エルサレム新市街)

そのエルサレム神殿で破壊されずに残った西側の壁が、
ユダヤ人の聖地、嘆きの壁です。

嘆きの壁

ローマ帝国の代表的建築物、コロッセオ(イタリア・ローマ)

ローマ帝国とは、イタリアのローマを首都とした
主に地中海沿岸やヨーロッパ、最盛期にはメソポタミアまでを治めた強大な帝国。
後に東西に分裂。

さてそのヘロデ大王の時代にユダヤ人の中から一人の人物が生まれます。
それがイエス・キリストであり、ここからキリスト教が生まれます。

ベツレヘムで生まれ(史実的には諸説あり)、ガリラヤ地方のナザレで育ち、
エリコ近くの荒野で断食し、サタンの誘惑に打ち勝って、伝道を開始します。

ベツレヘムの聖誕教会(パレスティナ)

荒野の誘惑の地と思われる場所?(パレスティナ・エリコ)

ザアカイの木(パレスティナ・エリコ)
イエスが伝道の際に立ち寄ったエリコで、
徴税人のザアカイがこの木に登ってイエスの姿を見ようとしたとか。

イエスとイエスに従う人々はエルサレムに入り、
ユダヤ教の指導者達と揉めることになり、イエスは処刑されます。

イエス・キリストの最後の晩餐の部屋

イエスが捕えられたオリーブ山のゲッセマネの園、万国民の教会

イエスが捕まる直前に祈った場所にある岩

裁判を受け、十字架を背負い、処刑場であるゴルゴタの丘に向かいます。

イエスが十字架を背負って歩いた悲しみの道
ヴィアドロローサ

ゴルゴタの丘に建つ聖墳墓教会

ゴルゴタの丘

キリストの墓

処刑後、仮埋葬されますが、3日後に復活したと信じられています。

しばらくユダヤ教と共にキリスト教も弾圧され続けますが、

313年にローマ帝国でキリスト教を含めた諸宗教が公認され、
その後ローマ帝国の国教となり、事態は逆転します。

聖墳墓教会の場所は、キリスト教を公認した皇帝コンスタンティヌス1世の母ヘレナが
ここがゴルゴタの丘だとしたため建てられたもので、ゴルゴタの丘、キリストの墓は別の説があります。

エルサレム旧市街北にある、ゴルゴタの丘との説がある場所

園の墓で、イエスの墓だと言われている、古いユダヤ人の墓

そして、今度は7世紀、アラビア半島のメッカでムハンマドが神の啓示を受けたと言い、
イスラム教が生まれます。

ムハンマドはある日、天使ガブリエルによってエルサレムに連れてかれ、
エルサレムの岩から昇天し、神(アッラー)の御前に至ったという神秘体験をしたとのことで、
エルサレム神殿跡にあった岩が注目されることとなりました。

ムハンマドの後継者の率いるイスラム帝国が東ローマ帝国を破ってエルサレムを占領、
エルサレム神殿跡内に岩のドームとアルアクサモスクと呼ばれるモスクが建てられました。
この後、しばらくエルサレムはイスラム教徒の街となります。

アルアクサモスク
神殿の丘の南端にあります。

東ローマ帝国の象徴的建築物、聖ソフィア大聖堂(トルコ・イスタンブール)
https://siontraveljournal.blogspot.com/2014/01/blog-post.html
東ローマ帝国は後にビザンツ帝国と呼ばれる
コンスタンティノープル(現イスタンブール)を首都とした帝国。
東西に分裂したローマ帝国の東側の帝国です。

さて、イスラム教徒に占領されたエルサレムですが、
キリストの墓の聖墳墓教会は存続の危機に陥ります。

11世紀初頭にイスラム教カリフの命令で破壊され一度消滅。
その後再建されますが、この破壊が十字軍侵攻の理由の一つにされます。

11世紀末、ヨーロッパ諸侯を中心とした十字軍がエルサレムを占領。
虐殺と略奪の末、エルサレム王国を建国。
また、現在にまで残る聖墳墓教会に改築します。

ローマ教皇の居城、聖ピエトロ大聖堂(ローマ・ヴァチカン)
十字軍は、ビザンツ帝国皇帝からの援軍要請を聞いたローマ教皇が
ヨーロッパ各地の王侯貴族を説得し、遠征させました。

しかし、12世紀にアイユーブ朝のスルタン、
サラディン(サラーフッディーン)がエルサレムを奪回し、
一時的にキリスト教側の再占領はあるものの、
近年に至るまでイスラム教徒の支配下に置かれます。

十字軍国家は1291年のアッコの陥落によりエルサレム王国が事実上滅亡し、
その後パレスティナ全体がアラブ人、トルコ人へと支配者が移ります。

そして19世紀、オスマン帝国統治下のパレスティナ地方に、
離散していた多くのユダヤ人が入植します。

その後、第一次世界大戦でオスマン帝国が敗北(後に滅亡)、
パレスティナはイギリスの国連委任統治領となります。

オスマン帝国皇帝の居城、トプカプ宮殿
オスマン帝国の首都であったイスタンブールにあります。

この第一次世界大戦の際、イギリスがアラブ人、ユダヤ人双方に協力を要請し(※)、
双方に居住権と独立を約束するのですが、これが後のイスラエル建国(※)、
4回に渡る中東戦争へと繋がります。
※フランスにも支配地域の分割を条件に協力を要請し、「三枚舌外交」と呼ばれています。
※イスラエルの建国は、ナチス・ドイツによるホロコーストでのユダヤ人への同情も追い風となりました。

イスラエル建国の父、初代首相のベン・グリオン氏の像
ベン・グリオン国際空港内(イスラエルの中央地区ロード)

現在のイスラエルは
中東戦争で難民となったパレスティナ人と、
将来の独立を目指したパレスティナ自治区があり、
敵対するイスラエル政府は分離壁を造ってパレスティナ人を閉じ込めています。
※この分離壁で苦しむ人々がいる一方、自爆テロは減少したとか。

ヨルダン川西岸地区の分離壁

パレスティナ自治区内にあるバンクシー作の絵
石ではなく、花束を投げつけようとしています。

ざっと話すとこの様な街なのですが、長いですね。
これでもかなり掻い摘んでいます。

宗教的には重要な意味を持つ場所ですが、
宗教施設、関連史跡以外には特に何もない様に見受けられます。
「乳と蜜の流れる地」と言いますが、元々荒廃した砂漠の中にある街です。

しかし、その歴史はあまりにも深く激しく、そして現在でも
世界で一番ややこしい場所ではないでしょうか。

ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の三宗教の聖地ですが、
ユダヤ教徒とイスラム教徒は混在し、聖地もほぼ同じ場所です。
イスラエルとパレスティナにはそれぞれ言い分があります。

双方が納得できる平和な時代が来ればいいのですが、難しいですね。

嘆きの壁と後方に岩のドーム