朝、東京駅にいます。
年末なので、非常に混雑しています。
東海道新幹線に乗ります。
臨時ののぞみ号だそうです。
最後の富士山側の窓席だったそうです(みどりの窓口係員さん曰く)。
さっき買った東海道新幹線弁当を食べます。
そして富士山!がこれ・・・。
ついてないですね。
名古屋駅到着
在来線に乗り換えます。
東海道本線ですね。
清洲城チャレンジ!
清洲城を綺麗に撮影できるのか!?
微妙・・・。
清洲城は織田信長の城ですね。
清洲会議もここですね。
尾張一宮駅
尾張一宮とは愛知県一宮市にある真清田神社のことです。
木曽川
遠方の頂上に岐阜城
斎藤道三等が使用した稲葉山城を、
織田信長が1567年の稲葉山城の戦いで斎藤龍興から奪い、
新たに建てたのが岐阜城とのことです。
岐阜駅
長良川
ここから下流の方に行けば、秀吉の一夜城跡があるようです。
あと、長良川は、長良川の戦い(斎藤道三VS長男の斎藤義龍)が有名ですね。
木曽川、長良川に続き、木曾三川の揖斐川を通過
大垣駅
近くに、池田恒興等が城主だった大垣城跡があるようです。
関ヶ原の戦いに伴った攻城戦、大垣城の戦いもありました。
垂井駅
垂井駅前には竹中半兵衛の像があります。
竹中半兵衛ゆかりの地です。
垂井町から関ヶ原町にかけてが関ヶ原の戦いの舞台ですね。
関ヶ原駅に到着
歴史散策であろう人たちが何人か降りていました。
関ヶ原駅
基本的には無人駅の様です。
駅の向かいにはお土産屋さんも。
観光案内書は閉まっていたけど。
線路の上を渡る方向に行きます。
1600年に、美濃国関ヶ原(現在の岐阜県関ケ原町)で関ヶ原の戦いが起こりました。
豊臣秀吉の死後、天下を目指す徳川家康の「東軍」と、対抗する石田三成等を中心とした「西軍」が激戦を繰り広げました。「天下分け目の戦い」と呼ばれています。
どちらも豊臣家の為という名目ですが、実質は
徳川の治世VS豊臣の天下の継続
の戦いです。これに勝利した家康により、江戸幕府が成立し、
豊臣(秀吉の子で後継者の秀頼)は天下を失うことになります。
徳川家康
勝者で天下人です。特段優れた能力があったかは微妙ですが、
長生きと運の良さが功を奏したのでしょうか。
あと、家臣のことを大切にしたのが、信長や秀吉との違いですね。
石田三成
負けて全責任を負わされました。
しかし、三成自身はかなりの忠義者と評価されています。
人望がなかった扱いされていますが、
三成一人で関ヶ原の戦いをやっていたわけでもないです。
本当に人望がなかったら、島左近の様な優秀な家臣はいなかったのではないでしょうか?
元はそんなに身分は高くなく、秀吉に見出されて出世したそうです。
大谷吉継
三成との友情と豊臣家への忠義を重視し、西軍に。
ハンセン病を患っていたとのことで、この様な風貌らしいです。
小早川秀秋の裏切りにより、自刃。娘婿が真田信繁(幸村)。
黒田長政
黒田家は成功した大名家ですね。うまく渡り歩いた感じです。
豊臣恩顧の大名ではありますが、直接豊臣の親戚ではないです。
黒田長政自身は、父黒田官兵衛への冤罪疑惑で信長に処刑されかねない状況も
掻い潜って生き延びたので、綱渡りの人生ですね。
福島正則
この方は秀吉の親戚です。
三成憎しで東軍に参戦、豊臣の世を終わらせる家康の策略にまんまとのせられ、
大阪城夏の陣の後は、粛清されます。状況も時代も読み違えています。
小早川秀秋
豊臣秀吉の正室・高台院(おね)の甥で、小早川隆景の養子。
関ヶ原の戦いで西軍から東軍に寝返り、東軍勝利に導いた。
裏切り者なので、怨念(自責の念からの精神の病?アルコール依存症?)に悩まされ、
合戦後、恩賞で岡山城を与えられるも、早々に亡くなる。
島津義弘
鹿児島の人がやけに尊敬しているイメージのある島津義弘公。
私は正直、腹をくくらず、どっちつかず、小さなプライドに執着し、
家臣を踏み台に逃げ帰ったという印象しかない。
生きて言い訳しないと島津家が取りつぶされるから仕方なかったという
「言い訳」の話は、何か微妙・・・。
てか、なんで宇喜多秀家や小西行長を紹介しない・・・。
ここにいなかった毛利輝元を出さないことはわかるとしても・・・。
天下分け目の合戦の関ヶ原の戦いですが、僅か6時間で東軍の完全勝利、
西軍のボロ負けという結果になりました。
続く。
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